まぼろしの野呂山サーキット
           第一章
野呂山サーキット
            第二章
野呂山スピードパーク
            第三章
わが青春のNSP
           最終章
写真館資料館
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写真館資料館
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写真館資料館
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サーキットの歴史
まぼろしの
野呂山スピードパーク
平成15年5月11日

友人のアナ西元さんが野呂山サーキットの跡を見てみたいとHPの日記に書いていました。それを見た私は何かを感じた。
これは私に何かできるかも・・・勇気を貰った・・・そんな気がしてならないのです。
地元でありながら誰も何も知らない・・・。

私に出来ることを、出来る範囲でしてみよう、楽しみながら。
野呂山サーキット

第二章

JMRCの役員をされている永山さん(潟fィスモンド社長)に何かご存知ないか聞いてみました。その頃は、チームアサヒに所属していて、まだ若い時代で旗振りに何度か行ったことがあるけれど写真はないよといわれました。
JAFのメダルは出していたように思うが・・・ということでした。
あの頃、サーキットのコースは多分、FUJIと鈴鹿と野呂山しかなかったように思うけれどということでした。

FUJIと鈴鹿と並ぶ古いサーキットなのだと思うとどうしても何か調べたいと強く思いました。

JAFの浅田さんに聞いてあげようと電話をしていただきました。

やはり、書類や写真はないということでした。先日、私が電話をJAFにしたことで、まだ本部の方でも調べているから待っておいてということでした。
私の方は、これ以上は無理だと思いお断りをしたつもりでいたのですが。

永山さんの話からヒントをいただき、私がよく知っている藤井さん(呉市焼山 SF自動車 代表)に連絡をしてみました。確か藤井さんは昔、チームアサヒ所属だったと聞いていました。藤井さんは源さんの長年の友達で、元広島日産に勤務されていました。ヒストリックカーが大好きで、古い車を改造されたら、ピカイチの腕の持ち主です。(Zやサニーやセリカなど職人技でチューニングされます。)源さんより少し年上ですし、何かご存知かもしれません。

藤井さん
      オープンは確か短大の時だったから43年か44年だと思うよ。
      コースを作ったっていう人を知ってるから僕の名前を出して
      みんさいや、林さんっていう人
      それから、 僕と同じ年の上西さん(藤井さんや源さんとは友達)は、
      僕より早くモータースポーツしていたから、野呂山を走ってたと聞いた
      ことあるよ。
      それから当時、レースカーはけん引して来ていたから料金所をすぎた
      最初のコーナーからはけん引をはずして自走して上がっていたのを
      覚えているよ。

色んなヒントを貰って少し良い方向が見えてきたのかもしれません。

源さんの、ジムカーナの友達の九州宮崎の山本さん(レーシングファクトリーヤマモト 代表)は、昔からのレース一家だと聞いたことがあります。叔父さんは、昔、速い選手だったと聞きました。それで、山本さんの奥さんにも聞いてみることにしました。 奥さんが山本さんのご両親に尋ねてくださいました。
叔父さんは、山本幸蔵さんと言われ野呂山サーキットを走った事があるということです。山の上のモヤの深いところでコースは、すごい勾配があったということです。 
残念ながら叔父さんは亡くなっていて写真もないですということだったみたいです。


野呂山サーキットの跡を遊園地側から写真に撮っても山の斜面にあれだけ道路が写っているということは、かなりの高低差があるだろうと察しはつきます。それに野呂山は標高800Mくらいではないかと思うので、霧や天候の変化は著しいと思われます。観光遊園があった私の幼い頃にはスケート場があったのを覚えています。

こんな調査では、サーキットの調査には程遠く、皆さんに納得して戴けないように思います。しかし野呂山についてももう少し知りたくなってきたことは事実です。

私、一人で調べているので調べれる範囲は限られていますが、少しずつ調べていきたいとおもっています。


藤井さんに紹介していただいた林さんの勤務先に電話をしてみました。残念ながら出張ということでした。さすがに不審がられたようで、自己嫌悪です。
しかし、住所が黒瀬の方とわかりました。自宅に電話をしようと思いましたが、大体の場所を知りたくて、Naito Fanの久保田さんに電話をしてみました。

すると・・・すごいのです。運の良いことに、久保田さんが林さんを知っているというのです、林さんの勤務されている会社は役場の関係の業者さんで、林さんはその担当者でした、それに娘さんも役場の職員さんで久保田さんはよく知っているというのです。こういうつながりができて驚きましたが本当に嬉しかったです。少々不安になっていましたから。

電話をかけますが、どうぞ不審なものではありませんと娘さんに、お父さんに言っておいていただけないかとお願いしました。林さんは野呂山サーキットが出来たときに勤務していたということでした。資料や写真はないかも知れないけれど、電話をして下さいと言ってくださいました。

藤井さんに教えていただいた上西さん(高屋 うえにし電化 代表)にもメールをしてみました。

   野呂山、NSP(野呂山スピードパーク)
   わが青春のNSP
   なんでも話しますよ〜
   遊びにおいで
   NSPヴィーナスというサーキット専属のチームに所属していてマーシャルとか
   していたし、よく覚えてるよ。
   その頃、雑誌にもよく載っていたよ。
   AUTO SPORTS
   息子が大きくなったら見せようと思って実家の倉庫に納めてあるんから
   今度、出しておくよ

良い言葉ですね。

源さんに報告しました。源さんも始動開始してくれました。それは、私のような素人とは違い、目のつけどころも良いし、人脈もあります。

福山の小山自動車さんにも電話してくれました。
その当時、小山自動車でチューニングした車が走っていたと言われました。写真も残っているそうで、見繕って下さるということです。そこで新井さんという名前も聞きました。

   そしてNaito Fanでもある新井君(元広島工業大学 自動車部所属)のお父さん
   の話を聞きました。すごく速い選手だったということです。
   当時、速見翔という名前だったということでした。以前に日本人ではじめてF1に
   乗った人物だと伺ったことがありました。
   最近また時々息子さんのCR-Xでジムカーナにエントリーされたりしています。

新井君にも電話をして、お父さんの写真とか見てみると言ってくれました。
            
          

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