まぼろしの野呂山サーキット
           第一章
野呂山サーキット
            第二章
野呂山スピードパーク
            第三章
わが青春のNSP
            最終章
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写真館資料館
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       サーキットの施設
サーキットの歴史

まぼろしの野呂山サーキット

第一章
野呂山スピードパーク
それは一人の男のつぶやきから始まった。
「野呂山サーキットの跡、見てみたいな」(アナ西元(全日本ダートラ&ジムカーナスペシャルアナウンサー))

それを聞いて、私の心も動いたカナ? 私も知りたいな。

まず、われらが源さんに聞いてみました
運営しているときには走ったことはないし、見に言ったことも・・・ないかな・・・。
昭和45年頃、免許を早く取った友達は行ってた、僕が取ってから行ったときはもう営業はしていなかったように思う。閉鎖された後に一度だけマツダのファミリアクーペでコースを走った事があるけれど・・・。

それで、何か資料はないか、調べることにしました。簡単なことだと考えていました、がしかし、聞いても聞いても誰からも、何も出てきません。地元なのに・・・。だがそれも当たり前かも知れません。
一般社会で社員300人の会社で、車が趣味、まして走ることが趣味という人は何人いるのだろうかと考えてみたら、そうそういないってことも解りました。
それに、何十年も前の話。難しいかな、でも何か調べたい、わかるはず。
野呂山観光遊園と書かれています。
昭和47年頃当時の遊園地
遊園地には長い滑り台やスケートリンクなどもありました。
たくさんの人が訪れていますね。後ろに見える山の斜面側がもしかしたらサーキット側??
まず行政からと思い、川尻町の役場の方に聞いてみました。

野呂山の山頂は安浦町と呉市と川尻町とにまたがっていますので・・・多分あの場所は安浦町だと思います。サーキットも運営は官ではなく民だということは聞いたことがあります。遊園地も野呂山の開拓団の方が出資しあって作ったと聞いたような気がします。野呂山ロッジも今は若い人が管理人ですし、資料は残っていないと思います。何年創業くらい解ればいいですねぇそれくらい記録にあればお役に立てるのでしょうが・・・調べてみます。

それで今度は安浦町の役場に聞いてみることにしました。
その頃のことが解る方がいらっしゃいません。資料もないですねぇ。経営者がわかればいいのでしょうがねぇ。
個人の方がされていたみたいですので、野呂山の住民の方に聞かれてはいかがですか、何かご存知かもしれませんよ。

封印された過去というくらいに何もわかりません。目の付け所が悪いのでしょうか。何にも出会えないのです。

現在、サーキット跡地はオートキャンプ場になっているだろうと思われます。そちらの方に尋ねてみました

しかし土地を買ったのもかなり前でわからないらしいです。

インターネットで野呂山サーキットと調べてみたら二件のヒットがありました。一件は廃止されたサーキットとしてです。もう一件は野呂山サーキットは当時マツダロータリーのテストコースだったかな?と書いてありました。野呂山サーキットという名前かどうかも・・・。

それで今度はマツダスピードに尋ねてみました・・・

しかしマツダスピードは東京にありますし、そんな昔にはマツダスピード自体がなかったと言うことです。
なんなんでしょう、消し去られた過去というのでしょうか。

この際、勇気を出してマツダ本社にも尋ねてみました。
親切な年配らしき方が電話に出られ・・・
当時、野呂山頂上への道路が有料道路だった頃に、機材を持ち込み、テストドライバーが動力テストをしていましたが、それはサーキットではなく公道でしたということでした。

やった〜と一瞬思ったのですが、残念。

サーキットの山裾の町、川尻町にあるK社の社員の方に聞いてみました。
何でも覚えていることを教えてくださいといいました。
(ご協力ありがとうございます)

50才後半 Yさん
地元だけど・・・あったということくらいしか知らんな〜。20数年前、当時は車を持っている人が珍しかったんよ

50才中頃 Iさん
新入社員教育で行ったけどゴーカートに乗って遊んだところかね?地元じゃないけんね。そこで新入社員(昭和45年)の同僚が顔半分をすりむいたよ。Sさんなら知ってるかもしれんよ。

50才中頃 Sさん
地元だから走ったことあるよ。管理人がいていつでも行ってすぐに走らせてもらったような気がするがね。昭和45年頃にはゴーカートもそこで走らせていたけん、その頃から衰退し始めたんじゃないかね。値段はわからんね、写真もないねぇ、僕はサニー1000で2、3回走ったよ。バネを削って車高を落として。開拓団のMNさんっていう人にあれなら聞いてみんさいや。

50才中頃 Nさん(現インプレッサ所持)
当時1回だけ行ったことがあるよ。最近・・・少し前に遊園地の駐車場だったところからかすかにコースが見えたよ、行ってみんさいや。
コースはかなりのくだりがあったと思うよ。サニー1000が速かったと思うけどねぇ。何かの車のタイヤが取れたのをみたよ。軽自動車も走ってたはずよ。MBさんに聞いてみんさいや。

50才中頃 MBさん(呉市広町出身、ブルーバードSSSに乗りつづける)と Hさん(安浦町出身、ロードスター所持)
何回も行ったよ。走ったこともあるよ、大きな大会も何回もしょうたよ。トラックに積んで野呂山道路を車が上がっていったのを覚えちょるよ。藤田さんって人が走ってたよ。高校の頃には見に行ってたね、見るにもお金払ってたし。途中から地肌がでてモトクロスしてたのもしっとるよ。あれだけの大会をしょうたんじゃけん資料はあるわいね、頑張って探してみんさい。メインスタンドもあってタワーもあったし、パドックもあって入り口にアーチもあったんよ。
ほんま、懐かしいのぅ。遊園地の駐車場から見えようたのは1番下ったところじゃったよ。そうよねぇ、コースは1キロはあったと思うがね。ストレートが300から400mはあったと思うけんね。
写真がありゃあいいんじゃがね、探してみるねぇ。
Hさんが写真を探してきてくださいました。昭和48年4月(1973年)入社式後、野呂山で研修会がありました。その時の写真です。そろそろサーキットが閉鎖される頃ですが、平日なのに、何かが、誰かが走っていたということでしょう。皆で見ています。これがメインスタンドでしょうか?メインスタンドからは、コースのほとんどが見渡せたということです。

トヨタのマークUだったか2000GSSいうのがおってねそれが速かったんよ、レースの前に乗せてもらえることが出来てコースを同乗させてもらったんじゃけどね。下りはロータリー、上りは2000GSSじゃ思うたよ。
クラスがあってね軽と1000〜1500と1500〜2000と2000以上で確かロータリーは2000以上のところになっていたと思うんよ。軽はスズキのフロンテとかダイハツのmax fellowというのがおったよ、大きなタイヤをつけとったけどね。
1000のクラスはサニー、カローラ。サニーはサニー1000よね。知らんかねぇ。ロータリーはファミリアにロータリーを積んだのがいてねそれとサバンナよ〜。それと2000GSSが走るんよね。結構すごかったよ。

50才後半 SWさん(呉市仁方町出身)
いやいや懐かしい、昭和43、4年くらいだったろうと思うよ。まだロータリー(野呂山頂上の分岐点)とレストハウスしかない頃に行ったな。レーシングカーというより普通の車を改造したようなのが走っていたような気がするよ〜。1500〜2000ccくらいの。耐久レースのように何周もまわっていたような覚えがあるけどね。公認かどうかはわからんねぇ。閉鎖してからもたまには何か走っとったんじゃないかね〜。どこかの図書館か何かで全景写真と人が集まっているサーキットの様子を見たことがあるけどね。

30才中頃 Fさん(旧呉市内出身)
僕は小学生低学年の時、1年に二度くらいは野呂山に行ってたよ。ゴーカートに乗ってた。サーキットの跡地だったよ。遊園地とは違うところだったから・・・。かなり長かった。多分ショートカットはしていたんだろうけど、子供だったしめちゃくちゃ長い気がしたよ。写真・・・あったような気がするけどねぇ。先輩が免許とりたての頃、まだ走ったりしていたような気がするんだけど・・・それなら20年前くらいだけどねぇ。

この方たちは、かなりの興味を持っていらっしゃった一般の方です。あのまま存続されていたら今でも時々走りに行ってるよなんて言われていたかもしれません。
何とか色んな証言をいただけることが出来て、少し光が見えてきました。
しかし残念なことに写真は見つかりません。


そこで、野呂山開拓団の方に聞いてみることにしました。
そしたら、そこで働いていた方から教えていただくことが出来ました。
野呂山サーキットはスピードパークという会社が経営しとったんよ。安登町在住のUMさんに聞いてみんさいといわれました。
UMさんは現在は広島方面の会社に勤務されているそうです。
スピードパークは第一のオイルショック後に初めて第二のオイルショックで止めたみたいです。昭和48年か49年頃には止めたんよ。写真も資料も何も残ってないんよ。コースは皆で作ったんじゃぁ。地形からああいうコースになったんじゃがね。もう20年以上も昔じゃけんねぇ、いまさらどしたんね。

とても親切に話してくださいましたが、経営者は大変じゃわいねと言われました。
今、サーキットがあれば、走るのにって思うけれど、どれだけの人が走れば経営が成り立つかそれも解りませんし、簡単なことではないことが、とても勉強になりよく解りました。
今あるサーキットが末永く続くように皆で、ルールを守りそしてモラルをもって使いたいですね。

私の母でさえもサーキットがあったことをしっているといいます。
色んな話をしているうちに、私の記憶の片隅の現実か夢かわからないところに、野呂山有料道路の料金所付近で車をトラックの荷台に積んで並んでいる車の姿があるような気がしてきました。
父は車好きで生前サニーB110に乗っていましたが、さの当時、富士のレースなどが、たまにテレビ放映されているのを日曜日の昼下がりよく見ていました。
もしかしたら私も幼い頃に行ったことのある場所かもしれないとだんだんに思えてきました。父が生きていれば聞いてみたい気がします。

ここまできた以上もう少し調べてみることにしました。

川尻図書館です。
町史と当時の広報を調べてくださいましたが何もそのことについては書かれていないそうです。
昭和43年7月に野呂山有料道路が開通し、野呂山レストハウスが落成しています。その頃に出来たのではないかと思われます。野呂山へのさざなみスカイラインの無料化は昭和58年のことです。

川尻町役場の女性職員さん
役場に勤務し始めた昭和45年から49年の間に行ったことがあるけれど、廃屋のような建物があった記憶がありますといわれました。

やはり野呂山の頂上北側は安浦町にあたるので、そちらに尋ねてみました。
安浦町図書館の方も親切に調べてくださいました。町史と写真などが載っているものを調べてくださり、さらにはその町史を作られている町史編さん室の先生に聞いてくださいました。
図書館の方も調べるうちに、なぜサーキットのことがどこにも載っていないのかと不思議に思ってくださったみたいです。
編さん室の先生も野呂山のサーキットについてかなり記録を調べられたみたいなのですが、野呂山地区の住民の皆さんからも他のことに関しては記録や写真の寄贈があったみたいなのに、サーキットに関しては何も記録がのこっていなかったということでした。
さざなみスカイライン
現在は無料化当時は、有料道路でした。
遊園地があった方から見えるということで写真もとってみましたが大きな木もあるしどこがどうなのかはわかりません。
野呂山に行ってみることにしました。

古い看板を見つけましたがそれも元野呂山スピードパークと書かれているので、もう閉鎖されてから後のもののようです。
サーキットがあったと思われる場所は、今はオートキャンプ場だろうとほとんどの方が言われました。

その近くに別荘地がありました。そこからサーキットへ行かれるかと思いましだ、どうも無理みたいでした。たくさんの枝道があり迷ってしまいそうで恐かったし、あまりごそごそするのも不審がられるのでやめました。

野呂山に行くことを決めたとき、一応地図を調べました。
なんと戸別の地図にサーキットらしきものが記されています。これがサーキットのコース図の原型に近いかどうかは私にはわかりません。
現在オートキャンプ場があるこの場所ではないかと思われます。

やはり最後の手段としてJAFにも電話をしてみました。
尋ねたいことは
「野呂山スピードパークが公認コースだったかどうか」
「どんな主催競技が行われていたか、どこが主催していたか」
「コース図、写真など残っていないか」
「何年から何年まで営業されていたか」
「その当時からある公認クラブはどこか」
時間を下さいということで調べてくださいました。
本部にも聞いてくださいました。古い方はやはり存在していたということはご存知のようでしたということでした・・・が、しかしあまりに古すぎて資料は手元には何もないですということでした。古い資料はすべて郊外の資料倉庫に入れてあるといわれました。これ以上は申し訳ないのでお断りしました。

呉市史さん室にもこの際聞いて見ました。
遊園地もあって個人の方が経営されてたでしょう、日本一長い滑り台とかあったよねぇ、サーキットもあったよねぇ。
でもその当時は市史を作ってなかったから、古い人に聞くくらいしかないので調べていないなぁ、歴史とかなら載せているんだけどねぇ。大きな大会があったのなら新聞社か国土交通省とかはどうかね。

中国新聞社に問い合わせてみました。
大きな大会があったのなら話題なっていたはずだから
しかし、現在は新聞は閲覧でき、検索できるようになっているけれど、その当時のものは、パソコンには入っていないので探さないといけないので、記事になった日にちとか何かわかれば少しは可能ですが、・・・・

とりあえずここまでのところでストップします。
ここからは、もっとモータースポーツに関連している方たちに聞いてみることにします。
引き続き調べてみます。
ここまでで解った資料は下記のものです。
現在のmap
野呂山の場所
サーキット跡地の場所
コースらしきもの
   

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